今の平和とは?

日本は昔戦争があったのはみんなご存知の通りだと思う。今日はこれについて書こうと思う。もし今の時代に昔みたいな戦争があったら自分は直ぐに即死するだろうと思った。もしかしたら生き残ることはできないかもしれないと思った。焼夷弾に打たれそのまま死ぬか生き残ることが出来たとしても戦争で受けた何かしらの後遺症で死ぬかのどちらかだと思った。そして、また、こうも思った。自分が戦争の時代に産まれたら、自分は、家族の誰かが兵隊となり、戦場に行くことになったら自分は、泣かずに笑顔で送り出すことが出来るだろうかと。そんなことは絶対に無理だと思った。だって自分の大切な家族の人が戦場に行き、ましてや特攻隊(特別攻撃隊)に志願したとなれば生きて帰ってくることは出来ない。そして、上の人は、「生きて帰ってくるな何があっても死んでこい」といった。天候が悪くて帰ってきた兵士もいた。だが、そこで言われたのが、「なんで帰ってきた!?死ぬのが怖いのか!!」と言って帰ってきた兵士を殴った。日本は正しいと思って戦争を始めたが、結局これは無意味な戦争で、全く関係の無い人達まで戦争に巻き込まれ、多くの人が命を落とした。それは国民兵隊関係なく多くの人が死んでしまった。また、戦争で奇跡的に生き残った人もいる。その人達は今も尚苦しんで生きているのであれば、今も平和だと言えるのだろうか…正直自分は今も平和ではないと思う。昔の遠い歴史だと感じる人も多くいる。自分もその1人だ。何せ戦争を経験したことが1度もない。沖縄ではもっと酷く、集団自決の命令が出され、多くの兵士が死んだ。その事実は変わらない。これが一番衝撃的だった…集団自決をする意味はあったのだろうか?と疑問に思う。そこまでしてやらなきゃいけない戦争だったのだろうか…戦争はかっこいいと思う人がいるかもしれない。しかし、戦争経験の話を聞いたり映画で見たりしてもまだそう思うだろうか?自分は、戦争は悲劇をうむだけだと思う。そして今も尚苦しい中今も必死に生きている人が沢山いる。戦争で負った心の傷は、一生消えることがない傷を負いながら生きるというのは相当辛いことだと思う。それでも自分たちのために話をしてくれる貴重な体験を大切にしたいと思う。そして、沖縄の高校の教科書であまりにも残酷で衝撃的な集団自決のことについては教科書に乗らなくなり集団自決命令はなかったことにすると思った戦争を体験した多くの人たちが怒りを感じた。今更本当にあった出来事をもみ消すようなことをしてはいけない。これからも伝えていかなければならないことだからだ。今更集団自決の命令を無くすようなことであれば、最初っからこんな命令を出さなければ多くの兵士たちは死ななくて住んだのではなかろうかと強く思う。戦争を体験したことがない人が何を言うてるんだと思う人がいるかもしれない。十分承知の上でこのことについて書いている。だから、自分は、二度と戦争はおこしてはいけない。戦争をすることに意味はなく無駄な時間と無駄なお金がかかり、また、死ななくてもいい人達が沢山死んでいくこの死が1番無駄なしなのではないかと思う。兵士たちだって、家族や友人あるいは恋人がいる男性が兵隊となって戦場に行き、そして家族に特攻隊になったと伝えなかった人が沢山いた。その代わりに遺書を書いて渡す人が沢山いた。死ぬのが怖くないと言っていた兵士もいるが、本当は死ぬのはみんな怖かったんじゃないかと思う。そんな中で多くの兵士が出撃しそして沢山の兵士が星となった。戦争博物館に行くと特攻隊の展示物はただ帽子のみである。特攻隊の人たちの遺体を見ることもできない。それだけ残酷な特攻隊なのである。だから戦争は悲劇だけを残していくものだが、平和や命の尊さを改めて実感することが出来るものだとも思う。これを自分の気持ちを綴ってこれで締めようと思う。

話は変わるが今日またもう一個夜にブログをあげようと思う。今度は暗い話ではなく楽しい話を書けたらなと思う。ではまた後ほど